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大雨で目が覚めた。眠い目をこすって周りを見ると、みんな眠っていた。
時計を見ると、1時をさしている。

やばい、今日はここを出て、ルアンバパーンに行くんだったのに。バスはもうとっくに出てしまった!

音を立てないように、ドアを開けると、ウーンを起こしてしまった。
【何してるの、このままと寝ていけばいいのに】といわんばかりの顔だ。

でも、わたしには時間がなかった。バスを逃してしまし、かなり焦ったのだ。

外へ出ると、真っ暗。。。やられた。 完全に勘違いだ。
お昼の1時ではなく、深夜1時に目覚めてしまったのだった。
布団に戻り、また眠る。ノーイごめんね。恥ずかしさのあまり、笑ってしまった。クスクス


また目が覚めると、今度こそ朝だ。
わたしは蚊帳の中にいた。どうやら眠っている間にお母さんが入れてくれたらしい。
やさしなぁ、ほんと。


みんなに別れを告げて、わたしだけ出発した。
トゥクトゥクでバス乗り場まで向かう。

わたしは1人だった、だけど、寂しくなんかなかった。
トゥクトゥクの中で1人、考えていた。
なんだかこの、のんびりした空気と、人のあたたかさが身にしみて、
この旅にきて2度目の涙腺の緩み。

なんでもない、この雰囲気に涙が出そうになるなんて。
わたしは全てのものに感動できた。


バス乗り場に到着すると、アリアンがいた!
なんて偶然!めちゃくちゃ嬉しかった。二人で再会を喜び。
世界遺産の町、ルアンバパーンを目指した。


話には聞いていたが、バンビエン~ルアンバパーンまでの山道は最低らしい。
いろは坂のごとく、8時間ずっと、カーブばかりだと言う。
その話は本当だった。途中具合が悪くなり、ダウン。眠った。

目が覚めると、周りは山ばかり。山の中を走っている。
めちゃくちゃ綺麗な景色に感動しっぱなし。

ちょうど半分の地点で、休憩タイム。
山の村の子供が集まってきた。
子供の服はボロボロだった。2年前行った、カンボジアを思い出した。
子供の服はボロボロだが、こどもたちの笑顔はボロボロなんかじゃない。
わたしが笑いかけると、少し照れたように、笑った。

具合の悪いわたしは、食べかけのパンを渡して、じゃあね。と言った。
車に乗り込み、その後の様子を見ると、子供たちはよってたかって、パンを分け合った。
とっても嬉しそうだ、きっと甘いパンには、なかなかあり付けないのだろう。

ここにいた子供たちは物乞いではないと思う。
きっと山の村の子供だろう。
ラオスには物乞いの子供は少なかったように思える。
みんな自給自足の生活をしているからなのだろう。


8時間かけて、ようやくルアンバパーンに到着。
わたしが泊まってみたかった、コールドリバーゲストハウスに直接よってもらった。

部屋はベッドが二つ、割と部屋も広い。ホットシャワー・トイレは共同。(3ドル)
綺麗だし、ここにしよう。 チェックイン。

宿の娘、ちょっと大人っぽいNINIが、
【今日はフリーディナーだから、6時半には宿に戻ってきてね】と言う。
フリー?すごい、今日はタダ飯だ!


1人自転車を借りて、市内を散策。
ガイドブックにある、プーシーという、市内を一望できる場所に行くことにした。

初めて来た場所の、初めて行きたい場所がある。
初めて会う人に、初めて道を聞く。

思いのほか、ルアンバパーンは首都ビエンチャンより、道が複雑で大きい。

何人もの人に行き方を尋ね、やっと見つけた、プーシーへの階段。

登る登る、汗まみれだ。
わくわく、どきどき、早く景色が見たい。

登ること、20分?

やっと登りきったー!!!!!

ここからの景色はもう、本当に最高。
ルアンバパーンが世界遺産の町なのが、分かったよ。
ラオスで言う京都のような、とっても美しい町なのです。

その場所で一緒になった、香港から来た女性と、話し。
小坊主には日本語を教え、プーシーをあとにした。


帰り道の途中、なんだか腰の動きがおかしい子供に出会う。
オカマだ!オカマの子供だ!!!

彼?彼女?はお土産を売っていた。かごを両手で持ち、
ハロー!ミス!これどうかしら?的なことを言っている。

わたしはお土産の押し売りは毎度のことながら苦手だった。
頑張っているのは分かるが、やめてちょうだいよ。

オカマの子供は多分10歳くらいだと思われる。
わたしが買わないのが分かると、クネクネしながら口を尖らせた。
まつげがクリンクリンだ。

うーん、女の子よりも可愛い。

ちょっとしつこかったので、無視して帰った。名前は聞いていない。

その日はフリーディナー!宿のお母さんが作った、おかゆをみんなで食べた。
本当においしかったです。

夜はゆっくり1人で眠った。どうやらわたしの体は疲れてきてるらしい。

今日は朝7時前に起床。
この虫だらけの宿を変えるべく、荷物をもって、川沿いのバンガローまで歩く。
日本人のくみちゃんが部屋をシェアしようと言ってくれた。(一泊15000キープ=150円)

朝ごはんはアイスコーヒーと、食パンにジャム。
ビエンチャンのコーヒーはおしかったのに、バンビエンのコーヒーは甘すぎる。
みんなは砂糖が5杯は入ってると断言していた。

わたしは1人、自転車をレンタルして(一日1ドル)、市内を周ることにした。
日本人のオブチさんが教えてくれた小さいマーケットに行くことにしたのだ。

自転車屋で出会った、アメリカ人と一緒に行くことになった。
彼は1年間、休暇なんだそう。うらやましい。

マーケットまで自転車で約20分。
とーーーーーっても小さいマーケットだった。
野菜や時計、日用品がある。お店のおばちゃんはご飯をたべながらボーっとしている。
なんだか眠たそうだ。

マーケットはすぐ見終わってしまった。
傘を頭につけて、記念撮影。本物の自己満足だ。


その後、アメリカ人と二人でシェイクを飲んで、別れた。
わたしは地図に乗っている、バンビエンの学校まで自転車を走らせた。

病院の隣は学校らしい。だが、学校を確認できない。生徒が1人もいないのだ。
近くの民家にたずねに行った。

where is school ?
ラオス語で答えが返ってきた。どうやら、このお家の家族は英語ができないらしい。

なんとか会話をしようとお互い頑張っているところ、わきから日本語が現れた。
【学校ですか?あれですよ】 
彼はでぐさん。日本人だった。

【なんだー最初から話してくれたらよかったのにー。ラオス人かと思いましたよ。】

何してるんですか?とわたしが聞くと、

彼はこう答えた
【ふと気づいたらここでぼーっとしていたんです。】
彼はラオス語が話せない。

でぐさんの、キャラは最高だった。

彼もまた、たまたまここに立ち寄ったのだった。
ラオス語の本を片手にちょっとずつ会話をしていたらしい。

彼は初対面のあたしのことを彼女らに、
【この子はラオス人と結婚したがっているよ】と冗談を吹き込んだ。

キャーキャー言うラオス人。とっても楽しいぞ、おやおや。

妹の名前はウーン、お姉ちゃんはノーイ。
会話をしていくうちに、15歳、23歳だということが分かった。
何度も言うが、彼女たちは英語ができない。
そしてわたしもラオス語は話せない。



そしてお絵かきタイムが始まった。
わたしには一番大切な武器があった。紙とペン、そして絵の具だ。
ラオスの子供は水彩絵の具を使ったことがまだないようだった。
興味津々の子供たち、近所の子供たちも次第に集まってきた。


やっぱりラオスの子供は田んぼばかり描いている。みんながみんな、田んぼの絵でビックリ。
子供の絵って文化がよく出るんだよね。
●写真の絵を描いたことは、かなりの素質があると見ました。


その日は、妹ウーンの誕生日だったらしい。
夜8時にまた来てね。とお願いされた。
誕生日にプレゼントでも。。。と考えていると、でぐさんが言った。

【ラオス人の誕生日は、誕生日の人が、来てくれた人を持て成すんだよ。
だからプレゼントはいらない、全て気持ちだからね。】

こういう誕生日もあるのね!素晴らしい!!!
祝ってくれる人への感謝の気持ちだ。


一度宿に戻り、ひたすらぼーっとしていた。
バンビエンの雄大な景色も、今日は曇っていてよく見えない。
なんだか雨が降りそうだ。

と思ったら!やっぱり降り出した。しかもすごい大降り。

結構ふっていたけど、8時になったので、ウーンの家に日本人の友達を連れて行った。

パーティーは終わりかかっていたが、なんだか人が多い。
おいしい手作りのラオス料理を食べて、みんなであーだこーだ話していると。

日本人の友達、オブチさんがタイ語を話し出す。
タイ語とラオス語は似ているそうだ。彼のおかげで会話が弾んだ。

姉のノーイは一緒にいた日本人男性、ゼンさんに恋をしてしまったらしい。
どうやら日本人男性もラオスではモテ期に突入する。


雨も本降り。宿に帰るのが大変だ。雷がすごすぎて、でぐさんは耳をふさいでいる。
こわいよーこわいよー。あぁ、なんてナイスキャラなんだ。
この面白さ、うらやましい。わたしも負けてられないな。


ウーンと、ノーイのお母さんは部屋の中に、わたし達を入れてくれ、
終いには泊まっていけという。
【え?】泊めてくれるの!?
今日、初めて会って、今日、初めて話したわたしたちを、泊めてくれるだなんて。
これこそ、わたしが一番求めていた、人の優しさだった。


奥から布団がどんどん出てくる。
ラオス人のお家は至って質素だった。
ベットもない、ござの上に枕を置いて、雑魚寝。

わたしは最高にウキウキしながら眠った。
ウーン、ノーイ、お母さんどうもありがとう。


今日は朝7時半に起床。
ここのところ、6時すぎには起きていたので、わりとゆっくり寝れた。

8時からメコン沿いのお寺にいる、ポンサワーと、ポン坊主に会う約束をしていた。
顔を洗って、準備をして、まだ寝ているアリアンに挨拶をして、部屋をあとにした。

お寺に行く途中、ものすごい変な犬に出会ったので、写真を撮った。
タイもそうだったけど、こっちの犬は幸せものだ。
繋がれていない、どの犬も離れているのだ。
暑さのせいで、みんなだらけている。かわいい。


お寺には5分遅れで到着。
ポンサワーと、ポンは眠たそうに、部屋から出てきて、笑顔を見せてくれた。

How are you , Aki ? I'm sleepy.
わたしの決まり文句だった。毎日君は眠いんだね。
いろんな人にそう言われた。わたしなりのギャグだった。

ポンサワーはわたしを部屋に招いてくれた。
いろんな会話をし、出発までゆっくり話した。
ポンサワーはどうやらわたしのことが好きになったらしい。

君のせいで、ハートが壊れた。とか。
昨晩はきみを夢にみた。とか。

わたしは期待させるようなことは、何一つ言った覚えがない。

お坊さんは、全ての欲をセーブしなくてはいけない、それが仏教の教えなのを
わたしは知っていた。
女性に話しかけてはいけない、障ってはいけない。恋なんて問題外だ。

だが、ポンサワーはとても純粋な目をしていた。
アリアンも言っていたが、若いお坊さんは男の子と一緒だわ。
女の子に興味深深なのよね。

最後にポンサワーはわたしに言った。

好きな人はいますか? すぐにわたしは はい と答えた。
彼は、両手で目をふさぎ、小さい涙を流したのでした。

この出来事には、さすがの私も驚いた!
坊主としては、どうしようもないが、こんなに悲しがってくれるとは、思ってもみなかった。

ポンサワーは【日本にいる彼へ、僕は失礼なことをしてしまった。ごめんなさい。】と伝えてといった。

最後に記念撮影。何枚撮れば君は気が済むんだい。
18歳のポンサワーとポンは可愛かった。
不浄な坊主め、また会いたいね。
(写真:顔の丸いほうがポンサワー・きりっとした顔がポン)

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今日は北に位置するバンビエンに行く日だった。
アリアンとわたしは、ウルフに別れを告げて、バスに乗り込む。

これは最後に分かったことだが、ウルフがあんなに素晴らしい人なのは、
世界中を旅し、世界中に友達がいるということ。
彼が両親のいないラオスの子供たちを、自分のお金で学校に通わせているという。
まるで、我が子のように、子供たちを大切にしているのだ。

わたしはそんな素晴らしい人生を送っている、彼を本当に尊敬しているし、
本当に大好きだ。また絶対会いたいと思う。


バンビエンには、美しい山があるという。
写真で見た限り、バンビエンはわたしを魅了していた。

VIPバスと言われた、ちょっとボロイバスは、外国人と、地元のおばちゃん、おじさんで
座席は埋まっていた。

わたしたちは一番前の席に座ると、アリアンの買ったフルーツをつまみ食いしながら、
バンビエンまでの道を楽しんだ。
どうやら彼女は日本の昔の作家が好きらしい。
源氏物語はとっても難しいわ。と言っていたのを覚えている。


バスの中は最高に面白かった。次第に田舎になっていく、窓の外。
運転手とくだらない話で笑っているのか?ラオスのおばちゃんは笑い方が最高だ。
なんども口に食べ物を運んでいる。

*******************************

5時間後、バンビエンに到着。

バスは一番奥の宿に直接行ってしまった。
アジアの旅に付き物の、宿とバス会社の契約の末の行き先の変更。
わたしは自分で宿を決めたかった。

確かにここのバンガローは川が目の前だし、部屋は最高にきれいだし。。。
でも少し、わたしの予算から飛び出ていた。わたしの宿の予算は一日450円分だった。

今夜は1人で泊まろうと決めていた。
1人になってから、1人で眠ったことがなかったからだ。
今日は1人で沢山のことを考えたい。

わたしはアリアンに、そのことを伝えると、快くOKしてくれた。

1人重たい荷物を持って、歩く。
今日はなんだか雨が降りそうだ。

50メートル程、歩くと、ゲストハウスが一軒見えた。
中に入ると、おばさんが迎えてくれた。

部屋を見せてもらうと、なかなか古そうだ。
埃の臭い。しかしシャワーは中にある。しかもホットシャワーだ。
正直、迷う。この古さは相当だ。

おばちゃんは一泊3ドルだと言っていたが、可愛い口調で
2ダラーOKと言ってくれたのと、重たい荷物にさよならがしたくて、ここに泊まることにした。

この宿には娘が2人いて、二人ともすごく小さい。
宿にはスイスから来た女の子3人組と、スイス人の男性1人。
あとは私、なんて少ない客数なんだろう。

それなら、おばちゃんも必死だろう。

チェックインして、部屋に戻ると、トイレの前にゴキブリが3匹。
な、なななんと!と思った瞬間、ゴキブリは排水溝の中に逃げていった。
ベッドの上にはノミが結構いた。変な虫もいた。

虫には強いわたしだが、さすがに痒いのだけは嫌いだ。

必死に虫をつぶすこと、10分。

外が光った!雷だ。こっちに来て初めてのスコール!

しばらくやまない。その間。外を長めに共用のベランダに出た。

スイス人の女の子たちは、楽しそうに話している。
なんだか孤独を感じた瞬間だった。うーん、雨っていやだな。


30分以上降り続いて、やっと雨は収まった。

バンビエンの町を歩く、地図上では大きそうに見えたこの町はとっても小さかった。
10分歩けば、ツーリスト会社もなくなってしまう。

わたしは近くにあったお寺によることにした。

ここでも日本人のわたしは大フィーバー!モテモテだった。
坊主はみんなこうなのか、、、と少し悲しくなった瞬間。


そこで、日本人のグループに遭遇。
中にはファランポーン駅まで一緒に行ったゼンさんもいた。

みんなでお寺で遊んでいた子供たちと遊んだ。
鬼ごっこは最高に楽しかったが、子供の体力は果てしない。
デジカメは子供たちの興味をそそる。子供たちの撮影大会が始まった。

バンビエンはのんびりしまくっている。小さな商店は家族経営の店がほとんどで、
みんな営業中なのに、あくびをしたり、ゴロゴロ眠ったりしている。
まだ15時だよ、みんな。

夕方5時、クレープみたいなのを買った。このクレープみたいな食べ物は、バナナの輪切りがいっぱい乗っていて、その上にコンデスミルクがたっぷりかかる。(10000キープ=100円)
うまい、これ最高。でも多すぎて1人で食べきれないよ。

クレープ屋の前には同じ、クレープ屋が2軒ある。
誰も競争している様子はない、面白すぎる。なんで一緒にお店なのかしら?


その後は、日本人グループのみんなと話をして、バンビエンの山にかかる夕焼けを眺めた。

このなんとも綺麗な夕焼けを眺めていたら、ここバンビエンでの過ごし方が分かった。
ここに来る人はのんびりしたほうがいい。
だが、わたしには時間がなかった。2日でここを出よう。
またラオスに訪れるなら、もっとゆとりをもって旅がしたい。

夜ごはんは日本人のみんなと食べた。

裏メニューとして、
●ガンジャピザ(マリファナ)
●マジックマシュルームババナシェイク 。。。などなど

違法とされている食材?が普通にメニューとして隠れていたことに、
カルチャーショックを受けた。
わたしはタバコも嫌い、体に悪いものはいただけないので、遠慮した。

この時はまだ、裏メニューに対して、嫌なイメージしかなかったのだ。
(今後の日記を見ればわかるよ)

帰りはみんなが送ってくれた。どうもありがとう。
散々いったり、きたりしてごめんね。道に迷ったよ。一本道なのに。

今日は1人でおやすみ。バスタオルを敷いて、虫から身を守った。

またわたしの朝は始まった。
昨夜洗濯しておいた、洋服は半乾きで、なんだか臭かった。

朝、アリアンと一緒にベーカリーへいった。
彼女は【あたしコーヒーがないと朝が始まらないのよ。】
と言う。彼女はかなりのヘビースモーカーだ。

朝食を済まし、楽しみにしていた、
ブッタパークという場所に、トゥクトゥクで行くことにした。

トゥクトゥクで約2時間。

その時見た景色を、わたしは今でも鮮明に覚えている。
雲がかった空に薄茶色の乾いた道。
道はガタガタで、たまに穴ぼこ、ぼっこぼこ。
隣を走る、バイクのお兄さんはわたしと眼が会うと、
にっこり笑顔で返してくれる。

道沿いに小さいお店が並んでいる。
みんなまだ昼間なのに、ねっころがって、子供をあやしたり、
友達同士はなしたり。

のんびりしたこの空気はきっと、ラオス特有なんだろう。

あたしはこの風景を見て、なぜだか涙が出た。
感動したのだ、ただ純粋に。

大好きなみんなに、この空気を感じてもらいたいと
心で思っていた。

ブッタパークに無事到着。思えばここまでの交通費、高いかもしれない。往復で150000キープ(約1500円)

ここには面白いブッタをかたどった、象が何体も並んでいる。
写真を見れば、分かるように、面白い。笑える。
感動ではなく、ただ笑えるのだ。
その奥にはメコン川、向こう岸はタイだった。
牛がそこらじゅうにいる。

ブッタパークを堪能した後、家族と、好きな人に手紙を書くため、ハガキを買った。ラオスでわたしが一番会いたい、山岳民族のハガキだ。(一枚2000キープ=約20円)

同じ道をまた帰る。胸がいっぱいだった。
1人で考える時間ばかりだった。
日本にいる時とは、全てが違った。
何もかもやはり新鮮だった。

無事宿に到着、その後、腹ごしらえにアリアンと一緒に
お昼を食べに行く。

途中揚げパンを買った。うますぎてびっくり。
ラオスはフランス領だったので、フランスパンなど
パンがすごくおいしい。

その後、お店に入り、途中で買った、ドリアンと
コーヒーを飲んだ。

ドリアンは初めてだった。
少々怖かったけど、あんなにおいしいものとは思っていなかったので、またまたビックリ!
アリアンに感謝。彼女のススメでドリアンを食べれて良かった。
フランス人はドリアンが好物なんだそう。


その後、お互い1人行動。
わたしはメコンに一番近い、寺院にはいった。
そこで、18歳の坊主、ポンサワーと、ポンに会った。
二人はとってもニコニコしていて、わたしの話しかける。

【あなたは にほん じん ですか】 片言の日本語。
わたしは嬉しくなり、坊主2人と仲良くなった。

2時間半くらい、話した。
一緒に暑い空のした、水を飲みながら会話。

●日本語を勉強しているが、難しい。
●あなたは日本で何をしていますか?
●何歳ですか?
●日本の暮らしはどうですか?  などなど

それと、ラオスのことも教えてくれた。
ラオスの男性は日本人の女性が好きなんだそうだ。

日本ではないことが、ここラオスではあった。
ラオスでは、こんな私がモテモテだったのだ。
(きっと誰でもそうなのです)久しぶりすぎるモテ期!
かなり笑った。

わたしは明日の昼、バスでバンビエンに向かうことにしていた。なので、彼らと明日の午前中、また会う約束をしたのだ。

夕方までは、ウルフと市内観光。
一緒にラオス人のマーケットに行った。
これには結構驚いた。ひしめき合う店の数々。
舗装されていない、道。
お米・洋服・なんでも売っていた。
そこで出会った子供たちもまた、可愛すぎた。

*************************

夜になり、宿に戻ると、アリアンとウルフが待っていた。

【君は今日、デートだね。俺たちは、君が心配だ。
だから、今日君を迎えに来る、
アメリカ人の男をこの目で見届けてやる。
そして顔写真を撮って、もし君が無事帰ってこなかったら、その写真を警察にわたしにゆくよ】

その言葉に、わたしは深く感動した。
なんて、優しいひとなんだ。わたしをまるで娘のように思ってくれている。ラオスに来て、また泣きそうになった瞬間だった。

彼が迎えに来ると、本当にウルフは写真を撮って、
見届けてくれた。

ロビンと一緒にメコン川沿いの屋台でご飯を食べることにした。ここで食べた鍋料理、それはもう本当においしくて、驚いた。一緒に飲んだパイナップルシェイクも、ロビンは最後に全部おごってくれた。

彼の話は面白く、わたしの片言の英語が彼には面白かったようだ。

その後、ラオスの音楽祭らしいものに行ったのだが、
日本で言う演歌のような曲ばかりで、決して盛り上がらなかった。

ラオス人は入場料を払いたくない人が多すぎて、遠くから爪先立ちで、様子を伺っていた。
そして、わたしたちもその1人だった。

ロビンに挨拶をして、夜10時に別れた。
アリアンは優しくわたしに、声をかけてくれた。
心配してくれてどうもありがとう。

ロビンはやはり、悪い人なんかじゃなかった。

その日もぬるいシャワーを浴びて、眠った。

ハロー!今ラオスはビエンチャンにいます。

ラオスはタイの東北に位置していて、バンコクから寝台列車でおおよそ11時間かかります。

昨夜仲良くなったフランス人の先生と今夜は部屋をシェアします。
彼女はあたしより25歳上で、あたしの母さんと5歳しかとしが変わらないけれど、
とっても居心地のいい人で、話し方がゆっくりできれいだから、お互いの話が良くわかる。

ビエンチャンはタイと違って、本当にゆっくり時間が流れる。

そして、夜は本当に静か。
今夜は残念ながら曇っているので星は見えないけど、
ここの空気がとっても自分にあっている気がする。

今日はどんな物語を考えようか。今から楽しみ。
明日は市内観光をして、その後、バンビエンにいきます。

さっき、トゥクトゥク(タクシーみたいな乗り物)の運転手に
『マリファナはいるか?』と、普通に聞かれました。
こっちでは違法だけど、警察官もなかなか適当なようで、みんな吸っているそうです。

友達になったアメリカ人が言ってました。

あたしはタバコも嫌いなので、もちろんマリファナなんてとんでもございません。
国によって文化が違うので、それはそれで面白いけどね。


それでは、タイはビエンチャンからお知らせしました。
明日はビエンチャン市内の音楽祭?みたいなのに行く予定。

サバーイディ!

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