2013.04.03 Wed
拝啓、マルコ様 ただいま旅から帰りました
拝啓、マルコ様
Hola ! como estas ? 元気ですか?
カメラマンの品田裕美ちゃんから素敵な写真をもらったよ。
良い写真でしょう。メキシコで撮ってもらった写真だよ。
そう、日本に帰ってきたんだよ。
日本を離れ、半年が経った3月30日 わたしはようやく日本の土地を再び踏むことができました。
昨年の9月末、わたしは2年間絵の仕事一本で、一生懸命貯めたお金と画材道具、旅に必要なものをバックパックにつめて成田へ向かいました。
あなたとの別れは少しだけ寂しかったけれど、家族のもとでいつも通り、元気良く過ごしてくれる事を願っていたので
旅立ちに不安はありませんでした。
しかしながら、あの日はやってきてしまった。
メキシコに到着し10日目に、なんとわたしは拳銃強盗の被害に遭ってしまったの。
銀行帰り、お腹も空いたのでそのまま路面にあるタコス屋へ。
昼の13時、人通りの多い駅前の道にあるその店には平和な空気が流れていたはずなのに
席につき、5分も経たないうちに知らない男はわたしの脇に立っていた。
わたしの腰に拳銃をつきつけて。
男はわたしの持っていた鞄に手をかけ、力ずくで引っ張った。
肩掛けのそのバックはすぐに取り外す事が出来ず、わたしは男の力で席から引きずられるように立ち上がり
「どうしよう、どうしよう」と頭で考えながら、声をあげることもできないくらい恐怖で体中が震え、何も抵抗ができなかった。
その時、家族のこと、友達のこと、当然あなたのことも思い出したよ。
人は窮地に追いやられると走馬灯のように大切な人を思い出すのは本当だったんだね。
パーーーーーーーーーーーーーーーーン!!!
その直後、焦った男は、持っていた拳銃を店内で発砲。乾いた音が店内に響き渡ったとき、
「あぁ、これは殺される。わたしは死ぬんだ。」と本気で思ったよ。
頭が真っ白になりつつも、わたしはなんとか持っていた鞄を男に渡す事が出来た。
すぐに男は走り出し、そこから逃げていった。
わたしが持っていた全てを盗んで、出て行ってしまった。
パスポートもカメラも、お金も、これから夢に見た留学生活への期待も全て。
悲しかった。ただただ、悲しかった。涙が溢れてきて、抑える事が出来なかった。
怖くて怖くて仕方がなかった。
わたしはまだスペイン語が話せなくて、一部始終をみたメキシコ人に自分の想いを伝えられず困惑するばかりだった。
まるちゃん、本当に怖かったんだよ。
でも、生きていた。怪我もなく、生きている。
身体は無事だった。殺さないでくれてよかった。
そのことがあってから、しばらくわたしは宿に引きこもり
あの拳銃の音を思い出しては涙を流していた。怖かったのだ。夢を持ってきたのに、ここに来たのは間違いだったのかと。
ひとりで、辛かった。
5年前、ひとり旅をして愛するようになったメキシコ。
原色を散りばめた太陽の光輝く、陽気な国。歩くだけで心が躍り、すっかり魅了されたもの。
でも、わたしは今悩んでいる。
これからどうしたらいい?怖くてひとりではどこにも行けなかった。
あんなにひとり旅が好きだったのに。この国は向いていないのかもしれない。
わたしに力をくれないのかもしれない。
わたしの中で、2つの意見がぶつかった。
1、日本にすぐに帰ったほうがいい。家族はみんな心配している。安心できる場所に戻れ。
2、まだ何もしていない。そのまま突き進め。恐れるな、まだ生きている。
これで帰ったら、何も残らない。
メキシコを好きになってやってきたのに、嫌いになって帰るのか?
ここで諦めたら、もう二度とここにはやってこないだろう。
自分を奮い立たせ、新しいパスポートが出来た頃 勇気を振り絞ってわたしはバスのチケットを買った。
留学先のオアハカに身を移動させたんだ。
それからの日々は、一言では言い表せない程 色濃く、カラフルで
わたしの人生の中で一番と言っていい程、スペシャルで最高に刺激的な日々になったんだ。本当だよ。
つづく
2013.01.25 Fri
メキシコ留学日記vol.18 カリブ海にやってきた
寒暖差のあるサンクリストバル・デ・ラス・カサスから、北上してカリブ海はカンクンへ。
日本の某企業とのお仕事でここまでやってきたわけなんだけど、初めてのカリブ海に大興奮!
エメラルドグリーンの海は透明度がすごく高くって、海の上から魚も観測できてしまうくらいです。
今回カンクン空港までは飛行機で。そこから3時間離れた場所にあるトゥルムという街まで車で出かけました。
メキシコシティは治安が悪いと有名なのに対し、カリブ海沿いはとっても時間がゆったりしていて平和な空気が流れている。
トゥルムのビーチはどこへいっても白い砂浜。こんなビーチは沖縄以来。
いいところだなぁ。のんびりしたいなぁ。とせかせかした気分を自然と打ち消してくれます。
両親が海好きのわたしにとって、本当は海はとっても身近な存在。
学生時代までは毎年海に出かけていたのに、最近はすっかりご無沙汰。
やっぱり泳ぐなら綺麗な海が一番。どうしてだか暖かい地域は、陽気な人も多くなるし、治安も良いところが多いのだろう。
これはわたしの勝手な考えだけど、暖かい気候だと人の気持ちにも余裕が出てくるのだろうと思う。
黙っていても果実は育つし、家なしでもどうにか外で暮らす事が出来るだろう
魚を捕って暮らす事も頑張れば出来るかもしれない。いいなぁ、この のんびりした空気。
久しぶりに綺麗な海の中を泳いで、心も体もリフレッシュしました。
この地域に沢山存在するセノーテにも行ってきました。
セノーテ (cenote) はユカタン半島の低平な石灰岩地帯に見られる陥没穴に地下水が溜まった天然の井戸、泉のこと。透明度は水深100m!と、空気の中を泳いでいるくらい美しいのです。
洞窟内にはコウモリの住処もあって、マヤ文明時代には生け贄や財宝が放り込まれたとの事。
セノーテは何カ所も存在するので、また機会があればいくつか訪ねてみたいな。
2013.01.21 Mon
メキシコ留学日記vol.17 手作りトルティージャ
サンファン・チャムラを訪ねた後、隣の村"シナカンタン"も訪ねる事にした。
タクシーを一日貸し切りにして、運転手さんにいろいろガイドしてもらっていたので安心。今回一緒に同行しているのは、日本人のお友達、作家のBeBeさんと、ショピンの野々歩ちゃん、馨くんである。
わたしたちが村にたどり着いた時、もうあたりはすっかり暗くなり始めていた。
運転手さんが友達に家に招待してくれるとのことで、シナカンタンの村人の家を訪ねた。
この村の女性達もまた、機織りや刺繍のレベルが高く、自分たちが着る服も
自ら作っているそうだ。地べたに座っての作業はきっとしんどいのだろうなぁ。
わたしはテーブルクロスを2枚購入。日本に帰った時に引っ越す予定なので
新居に使おうと思う。この家のおばあちゃんがとても可愛らしく、親しみやすかった。
中心部からたった30分車を走らせただけで、日常で使われる言葉がスペイン語ではなく
その村の言葉に切り替わるから驚く。村の伝統はこうして言葉でも守られていく物なのだろう。
彼女が作った織物について話をしていると「夕飯を食べていきなさい。」と
台所へ案内された。わたしたちはお腹が空いていたので、是非是非!と心を躍らせた。
台所に入ると、娘さんが食事の準備をしていて焼きたてのトルテジージャをご馳走してくれた。これが今まで食べたどこのトルティーヤよりも素朴で美味しく、いつもなら3枚も食べればお腹がいっぱいなのに、わたしは5枚も平らげてしまった。
みんな大満足!メキシコの優しい味に触れて、心も大変満たされたのでした。
それにしても、この台所の魅力と言ったらすごい。
薪で火を焚いているので部屋の中は墨で真っ黒。何年もかけて重ねていった自然の色合い。時間の経過とともにその魅力を増していくのだろうな。
2013.01.13 Sun
メキシコ留学日記 vol.16 小さな村を訪ねて
Hola ! como estas ? ずっとあっためていた日本の某企業とのお仕事がスタートし、
わたしは今メキシコの南部、グアテマラの国境の近くに位置するサンクリストバル・デ・ラス・カサスという街にやってきました。
5年前にもこの街を訪れて、とても好きになった場所。
久しぶりに吸うこの街の空気は、なんだかちょっとアジアの匂いに似ている。
家々は彩られ、インディヘナの女性達が市場で仕事をし、ローカルな雰囲気漂う落ち着くところです。
オアハカと違って、天気の変化が大変激しいサンクリストバル・デ・ラス・カサス。
それもそのはず!なかなかの高地でここは標高が100mもあるのです。
街の中心部から車で20分も走ればいくつかの小さな村を訪ねる事が出来ます。
また別日に紹介するけれど、メキシコに遊びにきてくれた
ミュージシャン "ショピン" の野々歩ちゃんと、田中馨くん(元SAKEROCK)とサンファンチャムラ、シナカンタンという街を訪ねました。
女性達は刺繍や編み物、機織りも全てこなし、サテンのシャツに、黒いもこもこスカートを着ています。
男性は同じ素材の黒い毛むくじゃらのコートを身にまとい、テンガロンハット。
サンファンチャムラの村人が信じている宗派は、伝統宗教とキリスト教が融合したオリジナルの宗教で
教会にはおびただしい数の松の葉が敷かれ、数えきれぬほどのロウソクに灯がともされ
中では、medicoと呼ばれる医者の代わりになるシャーマンたちが、病気や悩みを解消するため
呪文を唱えながら施術をする。卵と、炭酸水(コカ・コーラも可)が病気に効果的だそうで
祭壇にはコカ・コーラが飾られているからびっくりだ。
わたしは今回が二度目だけれど、何度来ても鳥肌のたつ、非常に神秘的で悍ましい光景だ。
中は撮影禁止。最も!目には見えないすごいパワーが集まった場所のように思える。
サンクリストバルに立寄ることがあれば、是非訪ねてみて欲しい。
が、村の人々には礼儀正しく接するように心がけたいものだ。
彼女達はスペイン語ではなく、マヤ民族独特の言語を話す。
が、中にはスペイン語も話せる人がいるのでコミュニケーションが取れた事が嬉しかった。
5年前は言葉も話せなかったし、もっと閉鎖的な印象だったけれど、優しく接してもらえたような気がする。
村は変わっていない、わたしに変化があったから印象も変わったんだ。
旅をする上で、その土地の人が話す言語を勉強すると180度違って見えるから面白い。
勉強して本当に良かったと思ったし、もっと話せるようになりたいな。
写真は次の村へ行く途中立ち寄った、サンファンチャムラの墓地。
こちらはオアハカの墓地とは異なり、土葬。亡くなった年齢によって十字架の色が異なる。
夕暮れに訪れたからか、光が綺麗にはいりこみ、美しい風景が広がっていた。
日本の墓地は怖くて薄気味悪いとされているから、夜は怖くて立ち寄れないけれど
もう少し入りやすい雰囲気になれば、わたしたちも気軽にお参りに行けるし、死者の魂も喜ぶような気がしてならない。
つづく
2013.01.09 Wed
メキシコ留学日記vol.15 俳優 "青木崇高" 現る〜
みなさん、Hola ! como estas ?
そういえば、先日メキシコシティに遊びに出かけた時に、おもしろいお客さんがやってきました。
4年前に友人を通して知り合った
俳優の青木崇高くん。(http://stardust-blog.net/aokimunetaka/2013/01/0815.html)
彼はロサンゼルスの映画祭に、出演している映画「るろうに剣心」で招待され、その帰りにメキシコに立ち寄ってくれたのである。
以前わたしの著書「おかっぱちゃん旅に出る」も購入してくれ、旅好きなのは友人から聞いて知っていた事もあり
メキシコで会うのをとっても楽しみにしていたのだった。
再会するなり、どでかい沢庵漬けを二本もお土産に持ってきてくれた。ありがたいこっちゃ。
しかしながら、滞在中はいろいろとわたしが案内するはずが、200%方向音痴のわたしは記憶力最高峰のムネくんに
メキシコを案内してもらうことになり大変迷惑をかけたわけである。彼にとっては初めてのメキシコなのに!なんという失態。
わたしが役に立ったのは市場での1コマであった。
メキシコで数日過ごしたあとキューバにひとり旅に出るムネくんはわたしに
「おみやげをもし買うなら陶器は絶対にあかん。壊れてまう。おれ、キューバ行くし。」と言っていた。
それがどうだ、一緒に買い物をし始めて10分後、彼は陶器でできたカラフルなガイコツの置物を手から離さないではないか。
さっきまで「陶器だけはあかん」と主張していた、青木崇高 32歳。
わたしは市場のおばちゃんとの仲介にはいり、見事交渉成立。少しは自分のスペイン語が役にたったか!?
市場は大変大きいのだが、結局ムネくんが買ったものは主に陶器でできたガイコツ、計9個。
「誰にあげるの」という質問に「全部おれの」と答えた、青木崇高、32歳。
次の日、バックパックかついでキューバに向かった彼を見て、第一線で活躍している役者さんの中に
なかなかこういう面白い人はいないんだろうなぁ。と思うのだった。
今回登場した、俳優の青木崇高くんは、うちのかーちゃんも、父ちゃんも大好きで見ていた、
大河ドラマの「龍馬伝」「平清盛」にも出演し大活躍!
ドラマや映画にも引っ張りだこ。
しかしながら、メキシコに住んでいるわたしの友達とは学生時代からのお友達だったそうで更に驚き!
世の中、狭い狭いとはいつも思っている事だけれど またしても狭いのね〜
ホームページでは、ムネくんが描いた才能あふれるイラストや、旅行記が読めます。
彼のひとり旅「南米手記」が最高に面白いので、是非皆さん見てみてくださいね〜
また、Boojilのイラストが彼のブログに掲載されています〜
http://stardust-blog.net/aokimunetaka/index2.html