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朝、目を覚ますとタイ語の会話が聞こえてくる。
窓の隙間から、朝になったことを確かめた。

旅中のわたしは、かなり気合が入っている。
そのため、眠いなーと思い二度寝なんぞ、できなかった。
その時の時間は早朝6時。

反対側にある、洗面所で歯磨きをしていると、
オーストラリア人のでっかい兄さんに声をかけられる。
彼は話が好きなようだ。

自分の席に戻って、しばらく外の景色を見ていた。
雲がかかった、空のグレー。
涼しげな田園風景。たまに見える牛。

ラオスはどんな場所なんだろう。

そう思っているうちに、11時間の電車の旅は終わり、
ノーンカーイ(終点)に着いた。

ノーンカーイに着くと、怪しげな杖を持った爺さんに
声をかけられる。
【お前は日本人か?】無視してやった。

わたしはフランス人のアリアンと一緒に国境を越えるべく、
イミグレーションへ。

わたしが思っていたより、国境を越えるのは本当に容易い。
パスポートと、用紙に記入し、提出。

わたしはラオスのビザを、バンコクで取っていたので、
アリアンを待っていた。

アリアンを待つこと、15分?20分?
バスでラオスへ入る。(たった3分間)

バスから降りるとここはもう、ラオスだ。

ラオスよ、こんにちは。
市内までいくには、タクシーで1時間ほどかかるという。
タクシーに乗るなら、人数が沢山いたほうがいい。

すると、怪しい杖をついた爺さんが、また現れた。
今回は人の良さそうな日本人と、
どこの国の人か分からない人と一緒にいる。

話してみると、意外と面白い、その爺さんの名前はウルフ。
日本人の兄さんは、アキラ。
どこの国の人か分からなかった人は、ラオス人の歯医者さん。

5人で強引にタクシーに乗り込み。出発。
タクシーの中での会話はそれはもう最高に面白かった。
ウルフは大暴走。話が止まらない。

ラオス人の歯医者さんは、途中で下車。

その後20分ほど、で市内に到着した。
ここはラオスのビエンチャン(首都)である。


ウルフはラオスに何度も来たことがあるらしい。
町の中心にある、スカンディナビアンベーカリーに
連れて行ってくれた。

そこで初めて、ラオスのコーヒーを飲んだ。
このアイスコーヒーは最高においしかった。
わたしは最近コーヒーが好きで日本でも飲んでいたが、
あのコーヒーの味は忘れられない。

その後、両替所で100ドル(1万1500円)を
ラオスのキープに両替。すごい枚数帰ってきてしまった。 (10000キープ=1ドル)
●ラオスではバーツ、USドルが普通に使えますが、
わたしはキープ(ラオスのお金)を使っていました。(その方が得)


その後、宿を探そうと思っていた、この重い荷物をどうにかしたい。

ウルフは
【俺が知っている宿は最高だ!きみたちを案内しよう】
杖をつきながら、元気に歩く彼の歩調は生き生きしていた。

ウルフのオススメ宿は少々高かった。
部屋が狭い上に、トイレもシャワーも共同だという。
これで、7ドルは高い。(ダブルの部屋)

ウルフは15ドルのビップルームに泊まることにしたらしい。

わたしはアリアンと一緒に他の宿を探した。
そこからわずか3分程の場所に、ガイドブックに載っていた
宿を見つけたので、部屋を見せてもらった。

さっきの部屋より安く、広い。
シャワーとトイレは共同だった。
まぁ、いい。ここにしよう。

6ドルを二人で支払い、とりあえず荷物を置き、外へ出た。
初めてのラオスを堪能しよう。
市内を歩いてみることにした。

ビエンチャンを周るのは簡単だった、
道が縦と横に交差しているだけ。
方向音痴のわたしでも、行きたい場所にきちんと着けた。


アリアンと一緒に町を探索していると、このビエンチャンという首都は、本当に小さい町だと言う事に気づく。
徒歩で充分周れる距離だ。
タイとは異なり、とっても静かだ。人も少ない。
のどかで、みんなのんびりしている。


タイとラオスを隔てる、メコン川沿いで、バナナシェイクを飲んだ。彼女がおごってくれた。

メコン川沿いはさらにのんびりしている。

わたしはなんだか1人になりたくなった。
1人でラオスを見て、感じたかったからだ。

アリアンと一度宿に戻り、1人で外に出ると、
天気が良くなってきた。
わたしにはもう、不安というものは一つもなくなっていた。

ただ、知らない場所に、1人で来れたことが本当に
嬉しくて。今までの自分とは何かが違う気がしていた。

ビエンチャンの道路はコンクリートではない。
土が乾いた道路だ。
道路工事をしているラオス人が沢山いた。
舗装しようとしているのか、水道管を通しているのかは、分からないが、みんな暑い中一生懸命働いている。

ここで、また驚くことが一つ。
挨拶をしてくれるのは、子供だけじゃなかった。
ラオス人はわたしを見ると、【サバイディー(こんにちは)】
となんのためらいもなく、声をかけてくれるのだ。
しかも、とびきりの笑顔で。

もちろん、わたしから挨拶する場合がほとんどだったが、
みんなきちんと笑顔で挨拶をしてくれる。

途中、前方からきた、旅行者の男性に、声をかけた。
彼はアメリカ人だ。ロビンと言う。
【向こう側には何がありますか?】
【あっちもとくに、何もないけど、面白いよ】

ありがとう、と告げてさようならをすると、
わたしは町の中心の噴水まで来た。
子供が遊んでいる。
ラオス人の子供も本当に可愛い。

5分ほどまったりしていると、先ほど声をかけたロビンが来た。なんて小さい町なんだろう。すぐ再会するなんて。

ロビンはジャズのピアニストだった。
彼の優しい笑顔は、いいひとを物語っていた。

彼はわたしを夕飯に誘ってくれた。
明日ラオスの音楽祭らしかった。
一緒にいこうといってくれた。

そう、ほとんどの男性旅行者は一人旅なのだ。
みんな誰かと出会って、すぐ仲良くなれる。
1人旅は素晴らしい。

快く、OKし、夜7時にわたしの宿の前で会う約束をした。

帰ってから、アリアンにそのことを伝えると、
まるで母親のように心配してくれた。

わたしは数々の旅行者の失敗話を知っていた。
レイプ・睡眠薬・詐欺・殺人・麻薬などなど
いろんなケースがあり、どれもこれも恐ろしいものだ。

わたしは人に対し、少し信用しすぎな部分が確かにあった。
初対面でご飯を食べに行く。日本ではありえないことだが、
ここ外国ではそれが全てなのだ。
出会いは大切にしたい。その人を素敵なひとだと思えたら。

アリアンは言った、【部屋にはいっちゃだめよ。】
わたしもそのつもりだったし、彼にそんな気があるとは思っていなかった。

アリアンは、
睡眠薬を飲まされ、レイプされた知人がいるそうだ。

彼女の忠告は正しいものだ。
わたしに警戒心を持たせてくれた。

夜はウルフが、また強引に
【俺が知っている日本料理屋へ行こう!】と言った。

わたしは今回の旅で日本料理を食べないと決めていたのに!

彼の頭には、私たちが日本人だから喜ぶだろう。
という考えがあったのだ。


嫌だとは言えず、ビエンチャンでも一番高いと言われる
日本料理屋についてしまった。

金がないわけではないが、全ての食べ物がラオスの価格からすると、ものすごく高い。ラオス人にはなかなか食べれないものだろう。


そこで、大好きなトンカツ定食を食べた。
うますぎた。やっぱり日本食が一番だ。
なんと日本酒まで注文してしまった。

一緒にいたアキラさんは、ずっと従業員のラオス人に
【君はアヒル口でかわいいねぇ】と口説きっぱなしだった。
ラオス人の彼女は英語も日本語も分からない。。。


ウルフは3日後タイに戻る。
バンコクに戻ったら電話をくれと言ってくれ、
全部おごってくれた。みんなにはチップを置いてってやれ。
と言った。

なんてかっこいい爺さんなんだ。

その日は、ぬるいホットシャワーを浴びて、
大きなダブルベットでアリアンと一緒に寝た。

ハロー!無事タイはバンコクに27日の夜中着きました。

エアポートから、夜中タクシーに乗ったんだけど、怖いおじさんにぶち当たってしまい、
タクシーの速度の速いこと、速いこと!!!130キロは出てました。

あたしのことを日本人だと確認すると、乱暴にタイ語を教えてくれた。
でも、おじさんは日本は値段が高いから嫌いだってさ。
I don't like Japan. って言われたので、もうそれ以上答えませんでした。
おじさんに笑顔が見えなくて、緊張しまくったよ。

無事予約しておいたカオサン通り(タイで言う渋谷みたいなところ、バックパッカーが集まる)
の宿に深夜2時に到着。

汚いけど、安くて広いゲストハウス。
朝早くおきて、屋台でタイラーメンを食べたよ。(10B→ 約30円)
タイ料理以外と大丈夫かも????? 少し安心したわ。
その後、ツアーの予約をしたり、暇だったから寺院に足を延ばしたり。

考えていたほどタイは危険ではなくて、本当にやさしいひとがいっぱい。
あたしの英語はいまいちだけど、もうタイ人の友達もできました。
あとはマレーシア・スイス。。もちろん日本人とも仲良くなったよ。


タイは二度目だからか、前ほどカルチャーショックはないけど、
やっぱり日本とは全然違う。宿には絶対貴重品は残しておけないしね。

でも色んな出会いあるし、とっても楽しい旅になりそうです。

今日で4日目のタイ。もうここカオサンは騒がしいので早くラオスに入りたいです。
なので、今夜9時前の寝台列車で、ノーンカーイまでいきます。
(タイとラオスの国境がある場所)

朝にはノーンカーイ。メコン川に落ちる夕日を楽しみに、今からハラハラどきどきです。

また3,4日後日記を書きます。

see you soon.

●どうしてもプラグがなくて写真を載せられないのよー
みんな待っててねー!

今日は友達と別れて一人旅が始まる、最初の日だ。
友達がいた分、安心していた部分はかなりあったと思う。

ラオスとの国境がある場所、ノーンカーイまでは寝台列車でここからいく。

列車は夜。友達2人はプーケットに行くので、逆方面だ。
彼女たちも初めての個人旅行なので、ちょっと心配したが、頑張って欲しいと思った。

それまでは一緒にいた。彼女たちのバスは夕方4時に出る。

四時まで国王の旧宮殿、ヴィーマンメックに行った。
ガイドブックにムエタイとタイ舞踊が無料で見学できるというので、楽しみにしていたのに、
結局ふたつともその時間はやっておらず、旧宮殿はガイドの説明が長すぎて、
最高に疲れた。 


でかいのと、お金持ちなのは理解できたから、
その【that is made in Jpan, China, Thai land...etc】 をもう二度といわないで欲しい!
そう思うくらい、配置してある家具に対し、説明されてはたまったもんじゃなかった。
観光客の中には途中で疲れて倒れそうになっているひともいた。


時間もなかったし、途中で帰ってきた。

夕方になり、2人と別れた。
日本でさよならするのとは、違い、寂しさと不安が入り混じって、泣きそうになった。

***************************************************
あたしの一人旅は始まった
ここからはずっと1人だ。誰にも騙されない、無事日本に帰れるように頑張ろう。
大好きなみんなが待っているから。

駅まではタクシーを使わなければならなかった。
タイのタクシーに夜、1人で乗るのはけっこう不安だった。
なので、道端であった日本人に声をかけると、調度一緒の駅まで行く予定があるという。

一緒にタクシーに乗り込み、ファランポーン駅に到着。

自分の座席を確かめて、荷物を置いた。
しばらく時間がたつと、タイの女性が前の席に座った。

ここからは全て英語だ。where are you from ? Japan.
と答えると、緊張が緩み、話が始まった。

彼女の名前はユイ。日本人の名前でも同じ名前があると言ったら喜んでくれた。
どう意味だと聞くので、一般的には結ぶと言う意味だと答えた。
彼女との話は続く、職業のこと、実家のこと。
彼女の降りる場所は、わたしとは異なり、それまでの時間を一緒に楽しんだ。

近くに座っていたフランス人女性、アリアンとも会話を交わした。
アリアンは今後一緒に旅を共にすることになる。
彼女は47歳、フランス語の教師で、パリに住んでいるという。

寝台列車はわたしをワクワクさせてくれた。日本でも乗ったことがない。
座席はベットに変わり、カーテンをしめれば、そこはわたしだけの小さなお部屋だった。

窓の隙間から入る、涼しい風と、隙間から見える景色はそれはもう、
わたしを一人旅の空気にさせてくれた。
枕に頭を乗せて、低い天井に目を向けると、日本で待っている彼へ
勝手に頭の中からメッセージを送った。

【あたし1人で電車に乗っているよ】

ラオスの国境まで11時間。その時間は本当に素敵な時間だった。
何をするわけでなもない、ただ、ゆっくりと頭の中で考えるだけだ。
外は電気がないような田舎を通っているのだろう、なんの風景も見れなかった。


見たこともない、新しい国へ 
こんなにワクワクしたことは、なかった。
あたしの不安は次第になくなっていくのでした。

二度目のカンチャナブリー

カンチャナブリーには【戦場にかける橋】という映画の舞台になった場所がある。
第二次世界大戦で、日本軍が大量の捕虜に、戦時中使用予定の橋の建設をさせ、
無理な労働で、たくさんの捕虜を殺してしまったのだ。

悲しい歴史と、美しい自然がカンチャナブリーにはある。


あたしは一度来たことがあり、ここならきっとみんな気に入ってくれると思い、
ツアーも色々あったが、ここにつれてきたかったのだ。

朝7時にカオサンでピックアップを待った。
朝ごはんに食べた、セブンイレブンのサンドイッチが妙に旨かった。
なんてうまいんだ!このサンドイッチは!と、ちょっと感動してしまった。(18B=54円)

8時にバンは出発した。
数時間すると、繁華街だった窓からの風景は次第に田舎へと変わっていく。
しかし、今日は曇りだ。

カンチャナブリーにつくと、まずは墓地を見学。コースは以前と一緒だ。
戦争で亡くなった人の数はものすごい多い。
わたしは戦争経験者でないし、痛みや恐怖は分かりたくても現実には分からない。
戦死した兵士の中にはわたしと同い年の男性が沢山いる。
家族はどれだけ悲しかっただろう。
戦争なんてなくなればいいんだ。

博物館に展示されているもの全てに 【JAPAN】という文字。
わたしは少し泣きそうだった。


墓地のあとは列車に乗った。
二度目だったので感動は薄れたが、ここからの景色は何度見ても素晴らしい。


車内に遠足中と思われる、タイ人の子供たちにあったので、写真を撮らせてもらった。
みんな笑顔だ、とっても可愛い。子供はすれていなんか、いない。
とっても純粋で、かわいらしい。

その中の1人がメモ帳に何か書いてくれと、頼んできた。
もちろん英語も日本語も話せない。わたしは絵がかけるので、かいてあげると
それはもう大喜びしてくれて、それを見た後ろにいた友達がまねして、
描いてくれと、頼んできた。

その隣にいた友達も、もっと後ろにいた友達も
人だかりに気づいてよってきた。

生徒は全部で30人近く、残念ながらタイムリミット全員分はかけなかったが、
20人くらいは描けた気がする。先生は英語で【まるで有名人だね】と笑いかけた。


生徒のみんなにさようならをして、電車を降りた。
あー、これこそ海外。わたしはやっとここで、また来れて良かった。
これからが楽しみだと感じたのだ。


その後、はエレファントライドと、ウォーターフォールへ!


象は相変わらず可愛い。象ってね、とっても体が硬いんですよ。


滝つぼで見かけた少年。髪型がおしゃれすぎた。


2日目 6月28日
タイで迎える最初の朝だ。
昨夜は寝るのが遅かったのに、7時起床。
友達を連れて、カオサンの隣を通る、ランブリー通りの屋台でタイラーメンを食べた。

たったの10B(30円)

タイの町を歩くときは、大きな荷物は宿に置いて、ドアには自前の南京錠を閉める。
貴重品は全て持ち歩き、いつも身から離さない。

タイ料理が苦手な私だったが、久しぶりに食べたタイのラーメンは、
以外とうまく感じた。

昼すぎになると、どんどんお店が開き始め、元気なカオサンが顔を見せた。

今日はラオス行きの寝台列車のチケットの予約と、ラオスのビザ申請と
明日予定に入れている、カンチャナブリーツアーの申し込みをしなければならない。

何件か、旅行代理店を周り、英語で会話。
どこが一番安いか、考えていた。

寝台列車のチケットはどこで取ればいいか、分からなかった。
日本人スタッフのいる代理店をカオサンで偶然見つけ、スタッフのアキオさんに聞くと
取り扱っているという。

そこでラオスのビザ申請と、カンチャナブリー日帰りツアーも一緒に予約した。
明日はカンチャナブリー観光だ。

夕方まで市内にあるワットポー寺院を観光。
残念ながら、写真のデータが壊れていて、掲載できない。ごめんね、みんな。

夜はカオサンのレストランで、タイのビールSHINGHAを飲んだ。

そこで日本人男性3人組に声をかけられた。
こっちに来ると、同じ国の人に会うと、なぜか安心する。

3人組みと一緒に話をして、その中の1人がタイのディスコに連れて行ってくれると
言うので、明日が早いので正直なやんだが、連れて行ってもらうことにした。
女だけでクラブやディスコに行くのはまだちょっとだけ怖かったのだ。


彼の友達のタイ人はタクシー運転手、なんと無料でタクシーに乗せてくれた。
なんて自由なんだ!勤務中なのに!!!


バンコク最大級?のディスコらしい。
カオサンのクラブやディスコは西洋人や欧米人が大騒ぎしていて、ナンパ目的の人が
多いので、タイ人しかいない、ここハリウッドに連れてきてくれたのだ。

タイなのに、ハリウッド。なんて面白いんだ!

残念ながら中の写真は、撮影禁止だったので、見せられないが、
セクシー女性がわんさか踊っている。スカートなのに、透けてて、ビキニ。とか。
おいおい、前方にいるお客さんよ、おひねりを胸元に入れるでない。
歌手のライブ、ダンサー色々でてきて、ここはコンサート会場?と勘違いしてしまった。

1000人は入っているんじゃないかと思う。
ダンスホールというより、みんな酒を飲んで、あんまり踊ってはいなかった
でも、DJの流す曲はポップミュージックが多くて、なんだか楽しかった。


やっぱりタイ人ばかりで、日本人が珍しかったのか、けっこう目立ってしまった。

深夜一時、明日は早いので、タクシー運転手の彼に送ってもらうことに。
彼の彼女もまた、笑顔が可愛かった。
彼女は英語が苦手だが、仲良くなれた。音楽は素晴らしい。

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